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グアム旅行記(1999/3/28〜3/31)
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初めての海外旅行.青い海とハイビスカスの咲く島でした.
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今年の夏にはアメリカのワシントンDCに行く計画を立てていました。それが初めての海外旅行になるかと思っていたところ、
たまたま、妻の勤務先に近畿日本ツーリストの営業が来て、春のグアムツアーの案内をしていきました。
3泊4日で値段も50000円程度、初級編にはちょうどいいと思い、ツアーを申し込みました。
1999年3月28日
羽田空港20:00発の全日空NH149便で関西空港に21:15に到着.機体はB747ジャンボジェット
関西空港22:55発の全日空NH173便でグアム国際空港に3:20に到着.グアムは日本より1時間先に進んでいるので,かかったのは3時間25分.機体はこっちもB747
グアム国際空港ではホテル行きのバスがもうすでに待っていました.グアムは日本と違い車は右側通行。だからバスには右側から乗るので何か変な感じがしました.バスは入国手続きの遅かった人を待っていたので,ホテルに行くのにずいぶん時間がかかりました。
泊まるホテルはグアムプラザホテル。ホテルに着いてバスから降りると、フロントで係員からルームキーと予定表を渡されました。
こういうツアーはオプショナルツアーを申し込んだ順に解放されると噂を聞いていたけど、そんなことはありませんでした。
一旦部屋に入ったあと、お腹がすいていたのでさっきのホテルの中のお店で,クロワッサンサンドとコーラを買った.
クロワッサンサンドはとても大きかった.明日は市内観光なので,とりあえず2・3時間寝た.
1999年3月29日
朝食はホテル内のレストラン、ブルー・マーリンでブュッフェ.あまりおなかはすいていませんでしたが,新鮮な野菜とフルーツをたっぷり食べました。
今日の午前中はツアーについているグアム市内観光でした。
バスでホテルを出発して最初に海抜123mの断崖絶壁の岬,恋人岬(Two Lovers Point)に行きました。海の鮮やかなブルーに感動.
この恋人岬には伝説があります。スペイン統治時代、両親にスペイン人との結婚を強要されたチャモロの娘は、そのスペイン人との婚礼の夜、
恋人のチャモロの青年とともに逃避行を決行しまし。しかし、この岬に追いつめられ、最後に2人はこの断崖から身を投げてしまいましたというものです。
恋人岬からの眺め |
入口の変な日本語 |
恋人達の像 |
絶壁から下を見る |
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そのあと,パセオ公園をバスで通りました。ここは読売巨人軍のグアムキャンプで使うパセオ球場がある。ゆっくり見たかった。そして、ラッテストーン公園に到着。
ラッテストーンとは、紀元900年から1700年頃のラッテ期に作られた巨石のことです。珊瑚石でできた高さ1.5〜2mの石柱の遺跡で、8本が2列に並んでいる。この公園のラッテストーンは南部のフェナ湖の近くのメポ村から1956年に移設されたものです。また、公園の裏には旧日本軍の地下要塞跡がありました。ここは、日本統治時代に防空壕や弾薬庫として使用され、戦後はアメリカ軍により核兵器貯蔵庫として使用されました。
ラッテストーン公園 |
防空壕 |
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ラッテストーン公園からスペイン広場におりてきました。スペイン広場は、1736年から1898年にかけてスペイン総督邸が建っていたところです。ここにはチョコレートハウスという建物があって、ここで総督夫人が屋敷を訪れる客人をチョコレート・ドリンクでもてなしたそうです。スペイン広場のまわりには、ハガニア大聖堂、ヨハネ・パウロ2世教皇像などがありました。再びバスに乗って、アプガン砦に移動しました。ここは、1800年頃のスペイン統治時代に作られたスペイン軍の要塞です。さて、アプガン砦では,いくつか店が出ていたので、ヤシの実のジュースを飲みました。飲み終わった後、その実をわさび醤油につけて食べさせてくれました。イカみたいな食感で意外にこれはおいしかったです。こちらでは、ヤシミというそうです。
スペイン広場 |
ハガニア大聖堂 |
ヨハネ・パウロ2世像 |
アプガン砦からの眺め |
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そのあと、フィッシュアイマリンパークに移動しました。ここは海中展望塔で、水中から泳いでいる魚を見ることができます。ここで食事,あまりおいしくなかったです。
フィッシュアイマリンパーク |
海底展望塔からの眺め(1) |
海底展望塔からの眺め(2) |
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観光はこれで終了でした。このあと、DFSギャラリア,白牡丹免税店と見学してホテルに帰ってきました。
ホテルに帰ったあと,明日の「グアム島南部観光ツアー」と、今日これから行こうと思っている「実弾射撃」のオプショナルツアーの申し込みました。申し込みと支払いをすませたら、海まで散歩に行きました。ホテルからちょっと歩くともう海岸でした。夕方5時近いのに,水はあたたかかったです。海岸沿いを少し歩いて道路に戻りました。このまま,少し歩いてみようと思い,南へと進でみました。途中、セブンイレブンで飲み物などを買い,Kマートというグアム最大のスーパーまで行きました。このKマートはとても大きくて,食料品から衣服,電化製品までなんでもあり,さらに安かったです。ここで買い物をして、ホテルに戻りました。
夕食はガイドブックを見ると、すぐそばにチャモロ料理のビュッフェがあるというので行ってみたら、何のことはない、泊まっているホテルのレストラン、ブルー・マーリンでした。ということで、ここでチャモロ料理を食べました.
夕食のあと,ホテル近くのウエスタン・フロンティア・ヴィレッジで実弾射撃場に行きました.38口径,44口径,45口径を12発ずつ.38口径と44口径はレボルバー式で自分で弾を入れて撃ちました。45口径はカートリッジ式で,これは最初から弾が込めてありました.特に45口径は反動がすごく,連射してみようと思ったができなかった.帰りにお土産用に薬きょうをくれました.
射撃の的 |
お土産の薬きょう |
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1999年3月30日
今日は昨日申し込んだオプショナルツアー、「グアム島南部観光ツアー」に参加しました。
今日も気温は39度の予報です。最初に向かったのは
タロフォフォの滝でした。この滝はタロフォフォ川の支流の3段の滝で,タロフォフォ湾にそそいでいます。ここから横井ケイヴは近いそうだが、ハブがでたりするので軽装ではいけないそうです。
タロフォフォの滝 |
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このあと、イナラハン・チャモロ文化村に移動しました。ここは古代チャモロ族の家屋と生活を再現した村で、ココナッツの皮で作った鳥や人形を作ってくれたり,ココナッツをつかったお菓子の作り方を見せてくれたりしました。
チャモロ文化村 |
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チャモロ文化村を出て、
グアム最南端の村、メリッソへ移動しました。ここからは、ココス島を眺められました。
そのあと、スペイン統治時代、交易船を海賊から守るために築かれた砦の跡であるソレダッド砦へ行きました。
そして、今日も来てしまったフィッシュアイマリンパークここで、食事。あまり美味しくないので、軽くフルーツくらい食べて空腹をつなぎました。
昼をとったあと、最後の観光地として、戦争博物館(Guam Pacific War Museum)に行きました。
それほど大きな博物館ではありませんが、太平洋戦争のときの記録を残していました。
最後に、新しくできた(らしい)ショッピングモール「マイクロネシアモール」に連れて行かれました。特別買い物もなかったので、昼食がわりにバーガーキングに行きました。ABCストアでちょっとした買い物をして、ホテルへ戻りました。
今晩の食事は,シーフードを食べようと思い,アイランドフィッシャーマンレストラン(Island fisherman Restaurant)というレストランに予約と送迎をお願いしようと電話をかけました。
英語での電話は自信はありませんでしたが、ここまでほとんど日本語が通じていたから困ったら何とかなるだろうと思っていたところ、この電話だけ日本語が通じませんでした。
何とかグアム訛の英語を聞き取り,無事に車で迎えに来てもらえました。店は市場みたいなところに魚介類が並んでいて、そこで自分で魚を選び,調理方法を指定して,調理してもらうという方式でした。ダンジネスクラブをガーリックソースで、グルーパー(はた)は醤油味で調理してもらいました。とても美味しかったです。
1999年3月31日
いよいよ帰国です。1時50分にホテルをチェックアウト。グアム国際空港の手荷物のX線検査で何か不審な物があったらしく,中身を調べられる.グアムに来るときは何も引っかからなかったのに...カバンの中を調べられて何か納得したようで問題なし.しばらく時間があるので空港内の免税店を見て,ドミノピザで1人用の小さいピザを食べた.グアム−関空便ではビール(バドワイザー)を飲みながら帰国する。
帰りの便は、
NH174 グアム4時40分発、関西空港7時10分着
NH142 関西空港発 羽田着
ツアー代金 49800円/人 ×2=99600円
グアム島南部観光ツアー 65ドル/人 ×2=130ドル
ウエスタン・ヴィレッジ実弾射撃 35ドル/人 ×2=70ドル
Island fisherman Restaurant 120.13ドル