吉田茂とその時代 特別展 サンフランシスコ講和条約発効五十年 (2002年5月13日〜2002年6月14日)

ここ2年明治初期の偉人についてでしたが,今年は昭和の大総理大臣の吉田茂のついての特別展でした.

日本史の授業では,総理大臣になってからのサンフランシスコ平和条約締結,日米安全保障条約の締結,バカヤロー解散などしか知らなかったが,総理になる前の外務大臣としての功績や,さらに戦時中に親英米派として,戦争早期終結を計画として捕まったりしたことなどを知ることができました.

 

吉田茂
高知土佐の自由民権家竹内綱の五男として生まれ,まもなく貿易商,吉田健三の養子となる.学習院から東京大に編入し,1906年外務省入省.28年、田中義一内閣の外務次官.36年、駐英大使.39年より在野.45年,東久邇内閣・幣原内閣の外相.46年、鳩山一郎公職追放後に自由党党首となり第一次吉田内閣組閣.その後,48年に第二次吉田内閣を組閣,以後54年まで5次にわたり政権を持続.経済復興を優先させ,反体制には破壊活動防止法,スト規制法など弾圧立法で臨んだ.対外的には対米従属路線を取り,単独講和,日米安保条約を選択.
ただ本格的な再軍備には慎重姿勢を示し,軽武装を選んだ.67年死去,日本最初の国葬.